みなと山口合同新聞社



1946年(昭和21)2月11日、水産業を基盤にいち早く戦後復興の歩みを始めた下関市大和町の漁港ビルで、有志らがタイプ謄写印刷による「西部水産速報」を発刊。この日が県紙・山口新聞と全国エリアの水産紙・みなと新聞の歴史の始まりとなり、2006年(平成18)で創立60周年を迎えた。

47年4月、漁港そばに社屋と工場が完成。タブロイド平版印刷となり、題字を西部水産速報から「みなと新聞」に変更。52年4月には紙面を大型化して4ページ建てに。1、2面を水産速報版、3、4面は市内版とし、市内版には市政・経済・社会記事を掲載した。さらに8月には水産速報版と市内版を独立させ、市内版は夕刊とした。

翌年、市内版の題字を「夕刊みなと」に変更し、4ページ建てに。これが実質的な山口新聞の前身といえる。55年に株式会社化、59年には日本新聞協会(甲種会員)に加盟。69年、夕刊みなとを「山口新聞」と改題、新たに(株)山口新聞社を設立。基本8ページとし、全県エリアの県紙を目指しての歩みを開始した。77年には現在地の下関市東大和町1丁目に山口新聞会館を建設し、本社を移転。84年にはコンピューターによる制作システムを導入し、従前の鉛活字による新聞制作から一変。紙面も12ページとなった。

92年10月、みなと新聞社と山口新聞社が合併し、みなと山口合同新聞社が誕生。94年にカラー画像処理システムを導入し、本格的なカラー時代に入るとともに紙面は20ページ建てに。99年には最新鋭の輪転機を導入し、最大40ページ、12個面カラー印刷が可能となった。

2003年からは電算部員と整理記者がペアで制作していた従来の作業を編集記者1人で制作する新システム開発に着手。05年に完成して全面稼働し、紙面も22−24ページと厚みを増している。この間、一貫して山口県民の目で国や県、市町村の政治・経済・社会・文化を見つめ続け、報道してきた。

2007年、印刷工場を増設し高速オフセット輪転機は合計4ラインとなり、40ページ中16個面カラー印刷が可能となった。







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