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遺族が松陰神社に所在不明になっていた書幅、寄贈
2017年5月19日(金)掲載
寄贈された吉田松陰自筆の書幅を紹介する樋口尚樹館長=18日、萩市
萩市椿東の松陰神社(青田国男宮司)は18日、幕末の思想家、吉田松陰が安政の大獄で萩から江戸へ送られる前日に旧萩藩士の前田孫右衛門に送った書幅が、岐阜県の前田家の遺族から寄贈されたと発表した。

前田孫右衛門は1818年生まれで萩藩の要職を務めた。萩藩改革派の一人で、1864年の禁門の変や四国連合艦隊の下関砲撃の責任をとり、野山獄で処刑された。松陰より12歳年上の良き理解者で、松陰が野山獄に投獄され江戸に送られる前後には、厳しいおきてがゆるやかになるよう待遇改善に便宜を図ったとされる。

書幅は松陰がそのときの感謝の気持ちを込め、江戸に送られる前日の1859年5月24日に孫右衛門へ宛て漢詩を作って贈ったもの。紙の大きさは縦130.5センチ、横27.5センチ。松陰神社によると、明治維新史の研究家、三宅紹宣・広島大名誉教授に鑑定してもらい、松陰の真筆と判明した。

文面は最初に、前田が松陰の免罪に尽力してくれたことへの感謝を伝えている。次いで、江戸に送られるに当たって自らの無実を主張し、苦境に立たされている身を嘆く一方、自分を理解してくれた前田と議論した思い出や感謝の気持ちなどをつづっている。

同神社宝物殿「至誠館」の樋口尚樹館長は「行間の狭さやバランスから見て、かなり急いで書かれたと思われるが、丁寧に気持ちを込めて書かれている」と松陰の心中を察した。

松陰神社によると、同書幅は1935年、岩波書店発行の『吉田松陰全集 第七巻』に載っている「東行前日記」のあとがき部分の注書きに存在を示す記述があるが、その後、長い間所在が分からなかったという。青田宮司は「今回の寄贈で所在が確認できて本当に良かった。改めて松陰先生の苦労と感謝の思いが伝わってくる。大勢の人に見てほしい」と喜んでいる。

同神社は19日から、書幅と一緒に寄贈された前田孫右衛門の絶筆とあわせて、宝物殿「至誠館」で展示する。入館料は一般500円。
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