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窯展示場で。作品は猛ブランドの「彩器」
 なんにでも興味を持つタイプ、凝り性で研究者肌、と性格を分析した。
 レーシングカート(最高速度200キロほど)のアマチュアドライバーだった。22歳から10年ほどやった。本業の焼き物は平日に、週末はレースという日々。
 中国・四国地区で年間ランキング4位に2回。「トントン拍子に優勝して、他人よりも勝っているので面白い」。体力の問題と金がかかるのでやめた。
 22歳で「ここで働こう」と帰郷。父保男さん(1933生まれ、山口県指定無形文化財保持者)に師事。焼き物はやったことがなかった。ろくろを本格的に始めたのは、1年ほどたってから。作業工程を習うのに3年。10年ほどやって、ろくろ、釉薬(うわぐすり)の調合、窯たき、一通りできるようになった。
 ただ、伝統的なやり方に納得のいかないものがあった。社会が変わり自然環境が変われば、昔と同じやり方では、同じものはできない。粘土も木もわらも変わる。材料の木灰、わら灰が変われば、釉(くすり)も変わる。井戸水も変わるだろう。
 「甘えがあったと思う。親子という。それは違うと言ってしまう」
 いい釉、水、粘土を化学的に分析して作ろうとした。20代後半から30代半ばまで材料作りに精を出した。焼き物はあまり作っていない。笑い話のようだが本当らしい。当然、腕は上がらなかった。
 「なぜか、ふと、突然にぽんと思った。おれはなにをしてきたのだと気付いた。がっくりした」
 焼き物に身を入れたかというと、そうはならない。
 レースではすぐに芽が出た。「ほめられるのが好き」な性分で、のめり込んだろう。本業では、狙った1位が取れない。「2位ではドベと同じ」と、なかなか本気になれなかった。
 そのころ、35歳で最初の結婚に失敗。居酒屋に通ううちに、学生時代にやったバンド演奏にはまった。作曲の才にうぬぼれた。37歳で生演奏のできるバーを経営。1年余り焼き物から離れた。店の経営が不振なのと窯の人手が足りないからと母に請われて手伝うようになった。40歳まで二足のわらじを履く。
 窯の注文品を作るようになって、作るのが楽しいことに気付く。一品ものの作品を作っているときには感じたことのない世界。気も楽になった。売れればいいんだと思った。
 「作品は鑑賞するものだが、実際に使うものの中にクラフト(デザイン陶器)的な要素を入れたらどうか、と目覚めた」
 「猛ブランド」のクラフトコレクション(日常雑器)となる。いま、窯の職人と猛ブランド作りに半々ずつ。わずかだが一品ものも作る。
 日本中を猛ブランドで満たすのが目標。作っているクラフト作品と萩焼のもやっとした感じを融合させたものに挑戦してみたい。
(文と写真・宇和島正美)
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