山口新聞 ふるさと創生へ 県民とともに

自宅縁側で。作品は「角花入」(高さ30センチ、幅14.5センチ、奥行き5.5センチ)
 小さいころから期待され、そのうちに自覚してなった高麗左衛門ではない。旧毛利藩御用窯、萩焼開祖から続く伝統窯の当主。しかも初めての女性。「折り目、節目で逃げなかったから、十三代になっていた」
 事情があって長い間1人で、長女と長男(悠太、1988年生まれ、京都市産業技術研究所陶磁器コース在籍)を育ててきた。ぜいたくはさせてやれないが、世間や社会から守るために、戦わなくてはいけないぞと思った。そうしてきた。そんな性分が恐らく襲名を決意させたのだろう。
 戦後民主主義の申し子の世代。男とか女とか意識しないで育った。家でも外でも自由に育ち、男女平等と自分でも言ってきた。しかし、家族を守る、仕事場を守ることは大変なことだとしみじみ思う。
 高麗左衛門襲名はこの4月。やりたいことはいっぱいあるが、やっていたら仕事ができない。女性らしく料理、「この季節なら野草取りとか」。考えないようにしている。
 姉の夫である義兄、十二代の絵付けアシスタントを39歳から始めた。十二代夫婦には子どもがなかった。「息子が十三代になると決まっていたので、自分の人生は(十二代夫婦を)支えることだと思った」
 その姉が2002年に亡くなる。翌々年、十二代が急逝する。
 1年間ほどばたばたしていた。そういう中で、時間を見つけては仕事をするようにした。やってみたいという気持ちが出てきた。徐々にそう思い出した。「使命感ですよね。自分がやらなければいけないと」
 十二代が作り上げた絵付けの技法を生かして、湯飲みに桜の花を一輪描いてみる「桜碗」とか「姫茶碗」(野点用替え茶碗)、「坂純子」独自の小ぶりな絵付けの作品を作った。併せて技術の勉強をする。窯のたき方で絵の具の発色が違う。土や釉薬(うわぐすり)…技術の勉強をした。
 坂窯400年の「一代一代の人たちが周囲の人を含めて、一生懸命、ものすごい努力をして」、窯の技術と家を守ってきた。
 家の中にたくさん人がいて働いている。それでいて、山の麓で、十分な広さがあるので、静かな雰囲気がただよっている。そういう雰囲気が好きだった。「そのころのような家が取り戻せたらという気持ちがある。景色全体を守らないといけない」
 十三代としてどんな作品を作るか。高麗左衛門という名前がヒントになった。
 「素晴らしい茶碗を作れ、といってもらった名前ではないのか。(そう思うと)気が楽になって、無心にろくろがひけるようになった」
 新奇な作品を作る必要はない。高麗左衛門らしく茶碗を作ればいいのではないか、と覚悟したらしい。「大きく構えて自由にやってみたい」。まだ外には出さないが、茶碗を作っている。
 作品を作るときに男と女は関係ない。「甘ったるいものは好きではない。季節の花をちょっと描いたような作品は、私の中のかわいいものを総動員してやっている」
(文と写真・宇和島正美)
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